gorgonzomaの日記

育休中に暇を感じたOLが始めてみたブログ。花小金井在住。ブログ初心者。

新中野女性クリニックでの出産記録

2017年11月の出産記録です。

スマホの動きが重くなってきたので、アプリケーションを整理していたら、出産時のメモが出てきました。そうだった、後で何かに記録しようと思ってメモを取っていたんだった。危うく消してしまうところでした。

死にかけたけど無事生還できた2017年11月の記録です。(自分では死にかけたと思っていますが、実際には大したことなかった可能性あり。そして既に忘れかけているので、メモに無かった箇所について、多少事実と異なっているかも・・・)

私の出産は計画出産の無痛分娩でした。実家からも会社からも行きやすく、評判が良く、昔から無痛分娩を行っている、という条件で探したところ、荻窪の「衛生病院」か、新中野の「新中野女性クリニック」の2択になり、そして食事がおいしい+先生がベテランというクチコミを決め手として、「新中野女性クリニック」での出産を選択しました。

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新中野女性クリニックでの出産記録
① / ②(出産まで) / ③(出産後・費用)
 
 
目次

 

入院準備

自分で準備したものはあまりありませんでした。ほとんどが準備されています。他の産院もこういうものなのかな。ものすごく楽でした。いただけるものは、一式まとめて大きいナイロンのバッグに入っていたので、持ち帰りも楽でした。

準備したもの

・パジャマ×1(使わなかった)
・靴下×2(使わなかった)
・産褥ショーツ×3
・授乳用下着×3
・ペットボトル用のストロー
(寝ながら飲む用)
・携帯電話の充電器
洗顔フォーム、メイク落とし
・化粧水、乳液

準備されているもの(持ち帰り不可)

・パジャマ×3
・バスタオル×3
・フェイスタオル×3
・ボックスティッシュ
・円座
・授乳用クッション
・電気ポット
・ドライヤー
・飲料水(2L?/おかわり自由) 
・哺乳瓶 

準備されているもの(いただけるもの)

・産褥ショーツ×1
・産褥用コルセット×1
・授乳用下着×1
・産後用ナプキンL(5枚入り)
・産後用ナプキンM(10枚入り)
・産後用ナプキンS(20枚入り)
・授乳用洗浄綿(20包入り)
・外陰部衝動供養洗浄綿(20包入り)
・母乳パッド(18枚入り)
・歯ブラシ、歯磨き粉、コップ
・シャンプー、リンス、タオル
・ベビー用フード付きタオル
・産着×1
・おくるみ×1
・紙おむつ(メリーズ40枚)
・粉ミルク(すこやか1缶(300g)) 

出産前日(入院1日目)

入院は出産前日の17:00~でした。39週4日目です。産院がお休みの日だったためこの時間でしたが、お休みでない日は19:00~のようです。

 

病室について

新中野女性クリニックの病室は3種類あり、トイレ無し、トイレ有り、特別室(トイレ有り・家族が泊まれる)というラインナップでした。全て個室です。トイレ無しは狭く感じたことと、主人の泊まる予定は無かったことより、私はトイレ有りの部屋を選択していました。

しかしまだ空いていない(!)ということでLDRへ。LDRとは陣痛(Labor)、分娩(Delivery)、回復(Recovery)の略で、最初から最後まで1つの部屋でリラックスして過ごすことを目的とした部屋だそうです。本来は出産当日に部屋を移動するようですが、私は前日入りとなりました。広いし居心地も良いし、何の問題もありません。むしろ病室より良かったりして。

 

出産前日の処置

少しのんびりした後で診察室へ。院長先生が出産に関する説明をしてくださいました。そして書類にサイン。その後は部屋を移動して、硬膜外麻酔を入れるためのチューブを背中にさしました。院長先生による処置でした。痛くなかったです。病室に戻った後は、陣痛促進剤を入れるための針を腕にさしました。こちらは看護師さんによる処置です。これも痛くありませんでした。

なおこのときに血圧150をマークしました。元々上は100~110前後だったのですが、2週間ほど前から120~130をうろうろするようになってしまい、ついには前日で150。不安になりました。(一応、夕食後は圧120に戻ってはいました)

出産前日の処置はここまでです。針が刺さっていることや緊張のため眠れないということで、ハルシオンが1粒渡されました。睡眠薬なんて初めて。入院も初めて。針が刺さったまま寝るのも初めて。初めてだらけです。

 

夕食

メニューを覚えていないのが悔やまれるのですが、とても美味かったことは覚えています。評判通りでした。明日以降のことを考えてもうウキウキ。

 

就寝

テレビを見ていたら知らないうちに寝ており、気づいたら夜中1時になっていました。睡眠薬を飲み忘れていることに気付き、慌てて飲んだ後でまたすぐ寝ました。この全く睡眠薬を飲む必要がないという状況。なぜそのことに気付かなかったのか。

 

出産日―無痛分娩(入院2日目)

出産当日はこのような感じで進みました。 

07:30 診察 
08:00 朝食
08:30 陣痛促進剤開始
09:00 硬膜外麻酔開始
10:00 子宮口が6cmに(陣痛10分間隔)
10:10 主人が到着
12:00 子宮口が7cmに(陣痛5,6分間隔)
14:00 子宮口が8cmに(陣痛2,3分間隔)
14:15 麻酔さしなおし
15:00 子宮口を無理矢理広げる
15:39 出産
18:00 病室に戻る
18:00~死にかけている?
     色々と処置をしてもらう
     輸血
22:00 主人帰宅

 

 

診察

まずは朝7:30からの診察でした。ここで子宮口を広げるためのバル―ンを入れるのだと思っていたのですが、すでに5cm開いていたせいなのか、バルーンは入れませんでした。

 

朝食

8:00~朝食。これもおいしかった。やはりおいしかったということしか覚えていませんが・・・。写真くらい撮っておくべきでした。

 

陣痛促進剤、硬膜外麻酔開始

朝食を食べ終わって8:30くらいから陣痛促進剤の点滴を開始し、その30分後くらいに、痛くなりはじめたか聞かれました。生理痛のような鈍い痛みがあったような気がしましたが、よくわからず。

痛いような痛くないような・・・という曖昧な返答をした結果、とりあえず麻酔も開始しておこうということで、9:00頃に少量の麻酔も開始しました。少しでも痛くなったらすぐ伝えてねと。優しい。痛くなったら麻酔を増やしていくとのことでした。

 

子宮口が6cmに

助産師さんが定期的に、痛みの具合や、子宮口の大きさをチェックしてくれます。10:00くらいに子宮口は6cmと言われました。

痛いか聞かれ、少し痛いと言ったら麻酔を増やしてくれました。でも痛いまま・・・。その後すぐに主人が到着。テレビを見ながら雑談をしたりしていました。10分間隔で鈍い痛みがあるけど、まだこの時は余裕あり

 

子宮口が7cmに

12:00くらいになると子宮口は7cmと言われました。痛い・・・。ここまでの間に麻酔をさらに増やしてくれましたが、痛みがとれない・・・。昼食が来ましたが、余裕がなくなってきており、食べられませんでした。おいしい昼食がーーーーーーー!

この先も痛いと言い続け、麻酔をちょこちょこ増やしてもらっていましたが、どんどん痛くなる・・・!この時には5,6分間隔の痛みになっており、痛みがくると話ができないくらいには余裕がなくなっていました。

 

子宮口が8cmに

14:00くらいになると子宮口は8cmと言われました。このときの痛みは2,3分間隔。痛いか聞かれたときに、ちょうど痛みがきており返答できず、もう余裕なし。悶絶。だからずっと痛いの無くならないって言い続けてるだろうが。若干苛立ち始めてしまっています。

しかしもうこれ以上麻酔は増やせないと言われてしまいました。えーーーーーーーーー無痛なのにこれ!?有痛はどれだけ痛いの!?出産やばい!(心の声)

 

麻酔さしなおし

その後すぐに、助産師さんが電話で誰かに確認しながら、麻酔が効いているのかについて、いろいろとチェックをしてくれました。いろいろとチェックをしてくれていたはずなのですが、太腿をつねられて痛いか聞かれたことしか覚えていません。太腿、痛かった。

その結果、どうやら麻酔が効いていないという結論になり、数分後に院長先生が背中の麻酔針をさしなおしに来てくれました。「すぐに痛くなくなるからね。がんばってね」と。院長先生はこれまで言葉少な目の怖めな人だったので、柔らかい口調での励ましの言葉に驚きました。出産時には人が変わったように優しくなるという、口コミの予備知識があったにも関わらず驚きました。

そして・・・完全に無痛になりました。陣痛がきているのもわからないくらいです。嬉しいけど悔しい複雑な心境。

 

子宮口を無理矢理広げる

15:00頃に、子宮口を無理矢理広げるという作業を行いました。広げる前に何か聞かれたんですよね。もう産みたい?とかそういう感じだったような気がします。聞かれた内容と自分の回答した内容は忘れてしまったのですが、助産師さんが「わかりました」といって子宮口を手で広げ始めたということは覚えています。痛いか聞かれて、全然痛くないと答えると、本来はものすごく痛いことをしていますと言われました。無痛バンザーイ。

 

出産

わたしは立ち会い出産を希望していなかったので、主人は退室して病室へ戻りました。その後、産まれるまではあっという間でした。痛くないのでいきむタイミングはわからず。助産師さんがモニターを見ながら「今ですよ~」と教えてくれるので、そのタイミングで力を入れてみたりしましたが、正しかったのかどうか。

そうこうしているうちに院長先生がきて、頭が出た、これ以上でてこない、吸引します、会陰切開します、とポンポン進み、15:39に無事出産。え、吸引?会陰切開?なにそれ?おいしいの?と、知識がなさすぎてもう。なお、すべて全く痛くありませんでした。

生まれてきたちゃんはすぐにお腹の上に乗せられました。わが子は特別というけれども、この時はまだ実感なし。でもやはり感慨深いものはありました。この子がズンズン私のお腹を蹴飛ばしていたのかと。

先生の「デカッ」「デカッ」と何度も繰り返された言葉が印象的でした。とても小さく見えましたが大きかったようです。3808g

出産後は眠くて眠くてぼーっとしており、16:00過ぎくらいに主人が戻ってきたようですが、反応は覚えていません。こういうときに感情を外に出すとは思えないので、無表情でただ赤ちゃんを見ていたと予想されます。

 

病室へ戻る

恐らく18:00頃、LDRから病室に戻りました。この日のこの後の記憶はすべて曖昧です。出産後は(多分)LDRでずっと寝ていたのですが、起こされた後に車いすで病室へ運ばれました。気分が悪くてベッドから起き上がれる気がしなかったことと、車いすに座っていることすらつらかったことを覚えています。

病室へ戻った後、気分がさらに悪くなり、意識が朦朧としてきました。途中までは主人と会話していたのですが、話している途中で意識がとんだり、話している途中で、自分が何を話しているのか分からなくなったり。ついには思考することもままならなくなってきました。

 

死にかけている?

勘違いだったのかもしれませんが、このとき、私は自分が死ぬと確信していて、座っている主人に遺言(といっても、一緒に育てられなくてごめんと言いたかっただけですが)を伝えようとしていました。意識が戻ったときに、必死に言葉を出そうとするんですが、口から言葉が出てこない。

主人1人で育てるのはあまりに苦だ、遺言じゃなくて死なないようにがんばれ、いや、そうはいっても限界だからせめて遺言を・・・の考えがぐるぐるしていて、でも考えている途中でまた意識を失って、の繰り返しでした。なぜか、死ぬ前に一言は伝えたいと思ってやたらと頑張っていたんですよね。このとき力を振り絞って言葉をだせていたら、達成感で死んでいたんだったりして。

ところで意識が飛んでいる間にみる夢?が不思議な内容で、幼稚園生、小学生、中学生など、過去の体験を、目まぐるしい速さで体験し直しているようなものでした。自分でも忘れていたような記憶が次から次へと。不思議な感覚でした。走馬灯・・・?

そのような状態のときに、先生に診察してもらいますと言って助産師さんがやってきました。病室へ運ばれた時の私の様子がおかしかったからなのか、通常のルーチンなのかは分かりませんが、診察の予定があったようです。ここで記憶が途切れています。診察の予定が無かったらと思うと怖ろしいです。

 

色々と処置をしてもらう

次の記憶は、目を開けたら目の前に看護師さんの顔があったというところです。「〇〇さん!〇〇さん!がんばってください!」という、だだ大きい看護師さんの声で目覚めました。ベッドの周りには先生や看護師さんたちが大勢いて驚きました。

朦朧としていて何をしてもらっていたのかよく分かりませんでしたが、心電計やら点滴やらがつながれていたような気がします。先生はエコーで子宮をみたり、子宮になにか入れたり?その他にも色々と処置してくれていましたが、よくわかりません。何かされるたびに痛くて叫んでいました。確実にうるさかった。迷惑かけすぎて申し訳ありませんでした・・・。

また、「運びますか?」「そんな時間ない」「〇〇さんにすぐに病院に戻ってくるように急いで連絡して」「血圧がXXまで下がりました」「身体の硬直がどうたらこうたら」と、聞こえてくるワードが怖かったのを覚えています。主人は病室の外にいたのですが、バタバタと色々な人が走り回っていて怖かったと後から聞きました。

処置が終わったあとに「こんなの何年ぶりだ」という会話が聞こえてきました。ということで、このようなことはなかなか無いようなのでご安心ください。なお大病院に搬送でもされるのかと思っていたのですが、すべて産院での院長先生の処置でした。処置してもらっている間も、先生頼りになるな~さすがベテランだな~とのんきに考えていました。

 

輸血

出産時の出血量は、出血多量という数値ではなかったそうなのですが、その後に出血がとまっていなかった(と言っていたような気がします)ために、輸血をすることになったようです。原因は不明で、赤ちゃんが大きすぎたのか、ショック性なんとかなのか、ストレスなのかという話でした。このあたりの説明は主人が受けたようです。自分では太りすぎか、麻酔が効いていなくて入れすぎたのが原因なのでは、と勝手に推測していました。

なお多いのか少ないのかはよくわかりませんが、母子手帳輸血 RBC400×3 FRP400×2と書かれていました。

 

長い1日の終了

22:00頃に主人が帰宅しました。何かあったら連絡すると言われて、気が気じゃなかったそうです。そりゃそうか。

次の日の朝になるまで、30分おきに看護師さんがお腹を押しに(血を出しに)きていました。押されるたびに痛すぎて叫んでました。。今まで味わったことのないほどの痛みが30分に1回!地獄。まあそのわりに、間の30分はぐっすり眠れていたので、疲れはたまっていなかったと思います。

周りの病室の方に迷惑がかかっていたのではと後から思いましたが、その時はそれどころじゃありませんでした・・・ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。そして30分に1回来てくれていた看護師さん、通常ならこのようなことはしなくても良いのに、大変お手数、ご迷惑をおかけしました。

 

出産後(入院3日目以降)

入院3日目以降分もメモはたくさんあるのですが、大した内容がないので、詳細の記載はやめにしようと思います。これ以下、ハイライトの箇条書き+特記のみ。

なお主人は出産当日と退院日のみ来る予定だったのですが、私が死にかけたせいか、結局4日目以外は毎日来てくれていました。このため記載は省略しています。

 

入院3日目

・やっと赤ちゃんとゆっくり会えた。かわいかった
・身体に繋がれていた管たちが全部はずされた
・歩けるようになった
・食べられるようになった
・尿漏れする
・会陰切開の傷が痛すぎる
・身体の節々が痛い

夜中の時点では寝返りも打てなかったのですが、午前中の早いうちに、ゆっくりと歩けたり食べられたりするようにまで回復しました。会陰切開の傷は抜糸するまで、身体の節々は退院後まで痛みました。

また本来はこの日から母子同室が始まる予定でしたが、私はダメージが大きいということで延期となってしまいました。

 

入院4日目

・赤ちゃんと昼間だけ同室になった
・シャワーを浴びられるようになった
・沐浴の見学をした
・妹が来た
・院長先生+他の患者さんとの昼食会

本来は夜も含めて赤ちゃんと同室なのですが、私は良く寝ないといけないということで、夜は別室になってしまいました。

昼食会は院長先生の手作りごはん。口コミ通り、診察時とは別人のようにとても優しく饒舌でした。院長先生は途中で退室し、その後は私を含めた患者さん8人で雑談。皆さんこぞって無痛分娩のすばらしさを語っていました。やはり回復が早いらしいです。他の方たちは全員ダメージが無いと言っていました。くそ・・・。

 

入院5日目

・夜中も赤ちゃんと同室になった
・始めて沐浴をさせた。怖かった
ビーンスターク営業さんのレビューを聞いた
・輸血のおかげで全出産費用が保険適用対象に
・私の母がきた

特殊な処置を行った分、費用が高くなると思いきや、合計が通常より安くなるというミラクル。ラッキ~。

 

入院6日目

・会陰切開の抜糸。痛くない
・主人の両親と私の母がきた
・私のおじさん夫婦がきた

抜糸の後の診察時、先生から2人目は考えているのか聞かれたのですが、今のところ考えていないと答えました。すると、大変だったもんね、でも、ほぼ間違いなく次はこのようなことにはならないだろうから安心してね、と、またしても優しい言葉を。ありがとうございました。二人目を産むことがあったら、またお世話になりたいと考えています。

 

入院7日目

・退院

もしかしたら入院が延びるのかと思っていましたが、予定通りに無事退院できました。退院後もしばらく不調は続きましたが、1、2ヶ月後くらいにはすっかり良くなっていたような気がします。娘が0歳9ヶ月になった現在ももちろん、何もなかったかのように元気に過ごしています。

 

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